2022-09-14 Wed
明智光秀公の居城、坂本城の城址は、松の浦別邸から車で約40分(浮御堂から
約10分)のところにあります。

昔、教科書で、本能寺の変を起こした極悪人
であるかのように教えられましたが、実際は、
領民を慈しむ名君として慕われるとともに、傑出した
文化人でもありました。
近年、歴史上の評価も見直されています。

この句「われならで 誰かは植えむ一つ松
心して吹け 志賀の浦風」は、琵琶湖を渡る強風で
枯れてしまった松を惜しむ歌です。
自然界の生命にも心を向ける光秀の人柄が
現れています。
光秀像とツーショット

光秀公の系譜を辿っていけば、我が家の祖である
藤原景通(加賀介:加賀の国の次官)に行き
つくようです。
一度、坂本城址に行ってみたいと思っていましたが、
ようやく、願がかないました。
ゆずの目線の先には、歌碑が

近づいて、ボタンを押すと、鳥羽一郎さんの
「光秀の意地」が流れてきました。

しばらく聞き入ってしまいました。
湖畔の小径は、ゆずには、ちょうどよいお散歩コース

ここに坂本城の本丸があったのですね。
今では、石垣の一部が残っているだけですが

琵琶湖を望む往時の坂本城を再現したCG写真
が掲示されています。



本丸からは、こんな琵琶湖の風景が眼下に
広がっていたのでしょうね。

ゆずは、光秀公で同じ風景を見ながら、どんな夢を
描いているのだろう。

まさか 大盛りのごはん!? じゃないよね。
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